2006年12月31日
◆心の底から出たものでなければ、けっして心へ伝わるはずがない

◆心の底から出たものでなければ、けっして心から心へ伝わるはずがない。 (ファウスト)
「ファウスト」にはこうある。
自分に実感がなければ、人の心はつかめない。
自分の魂からほとばしり出て、
力強く切々と語るのでなければ、
聴く者すべての心を動かすことができない。
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心の底から出たものでなければ、
けっして心から心へ伝わるはずがない。
ゲーテの言葉が私たちに伝わるのは、彼自身の実感の言葉だったからだろう。
2006年12月30日
◆常に努力するものを われわれは救うことができる。ファウスト

◆常に努力するものを われわれは救うことができる。 (ファウスト)
われわれとは天使のことである。
救われるのはファウストである。
「ファウスト」の中で、ファウストはあらゆる学問を究め宇宙の究極の原理を求めようとする。
そのために悪魔・メフィストフェレスに魂まで売ろうとするのだ。
ファウストが究極の真理を獲得したとき、彼は言う。
「時よ止まれ、お前はなんと美しいのか」
その瞬間、ファウストは絶命する。
本来であれば、ファウストの魂は悪魔・メフィストフェレスのモノにになるはずだ。
しかし、今まさに悪魔・メフィストフェレスにより地獄に落ちようとするファウストの魂を、天使が救い出し、天国へと引き上げられるのである。
なぜファウストの魂は救われたのであろうか?
このはゲーテや彼の生きた時代背景と宗教観がある。
常により高いものを求める人間、常に努力する人間が賛美され、それを天上の天使が永遠の愛で救おうとしているという考えである。
しかし、神の恩恵を受けているかは本人には分からない。
人間にできることは、ただただ努力するだけなのである。
こうした考えは、西欧を近代化へ進める大きな原動力になった。
ゲーテはこうした時代に生き活躍した人である。
スサノヲ(スサノオ)
2006年12月27日
◆この世界を奥の奥で動かしているもは何か・・・(ファウスト)

◆この世界を奥の奥で動かしているもは何か。・・・(ファウスト)
ファウストが冒頭で語る言葉である。
後、こう続く。
「それが知りたい。そこではたらいているあらゆる力、あらゆる種子を見きわめたい。」
ファウストはあらゆることを学び、世界の本質を知りたい人物として登場する。
実はゲーテ自身のことでもある。
ゲーテは、詩人であり、小説家であり、科学者でもあり、政治家・思想家でもある。
あらゆることに関心を持ち、物事の本質を探究した人である。
私自身もこの世を成り立たせる原理を知りたいと、さまざまな書籍を読み耽ったことがあった。
そのときは、人生に不安があり、どう生きていいか迷っているときであった。
しかし、ゲーテには私のような迷いを感じない。
純粋に世界の本質を知りたいと思う純粋な気持ちではなかったか・・・。
彼を「目の人」という人がいる。
物事の本質を見抜く力があるからだ。
彼の言葉にハットさせられるのは、本質を見抜いた言葉だからかもしれない。

スサノヲ(スサノオ)
2006年12月24日
◆消極的にせよ、積極的にせよ、不満は大変な労力である。

◆消極的にせよ、積極的にせよ、不満は大変な労力である。 (ゲーテの言葉)

どんなことでも、不満を言葉にする人がいる。
折角、前向きで建設的な話をしているのに、何で腰を折るようなことを言うんだというコトがある。
きっとこの人の生きてきたスタイルだから、自然に出てきてしまうのだろう。
ただ、本人は気づいていないかもしれないが、周りは迷惑だ。
いい仕事になったためしが無い。
不満は、注意深く慎重に仕事をすることとは違う。
自分がただ仕事をしたくない言い訳をしてるだけである。
そんな人とは一緒に仕事をしないほうがいいと思う。
折角時間を共有し、いい仕事をしようとしているのだから、積極的で前向きに取り組む人と頑張りたい。
「消極的にせよ、積極的にせよ、不満は大変な労力である。」 この言葉には続きがある。
「そのことに力を使うより、もっと他に力を使えばいい。 自分も相手も、ともに喜べることを。」
ゲーテは、なんと前向きで積極的な人だろう。
ドイツ
スサノヲ(スサノオ)
2006年12月23日
◆私の時間を短くするものは何か?活動!(西東詩集)

◆私の時間を短くするものは何か?活動! 私の時間を絶えがたいほど長くするものは何か?怠惰! (西東詩集)
忙しく仕事をしている時、時間に追われているが、精神的にはゆとりがあり、たくさんの仕事をこなしたという充実感に満たされることがある。
目的があり、目標に向かって自分の能力を最大限に発揮しているからかもしれない。
時間は十分あることは幸せなことかもしれないが、その時間にやりたいこと、したいことが何もないということは、辛いことかもしれない。
しかし、精一杯頑張った後の、何も無い開放感のある時間は別だが・・・
ドイツ
スサノヲ(スサノオ)